ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎の名言

ポーツマス会議

巨匠・吉村昭の力作『ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎』から、緊迫感あふれるポーツマス会議を中心とした小村寿太郎の名言をお届け。

日本の命運を賭した日露戦争。国民の多大な期待を肩に、全権・小村寿太郎はポーツマス講和会議に臨んだ。ロシア側全権ウィッテとの緊迫した駆け引きの末に迎えた劇的な講話成立。しかし、樺太北部と償金の放棄は国民の憤懣を呼び、大暴動・日比谷焼打事件へと発展する。死を覚悟して日本へ帰国した小村であったが、ロシア側から最大限の講和条件を引き出した小村を元老の伊藤博文と山縣有朋が出迎え、小村の両脇を抱えて守ったのだった。

文民として大国・ロシアと戦った小村寿太郎の生き様を見よ!!!

名言1・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版42ページ

小村寿太郎「小村は、即座に承諾した。(中略)外相としての責任上、国民の怒りを買うことを覚悟の上で、全権を引き受けたのである」

日露戦争、日本は奉天会戦、日本海海戦に勝利し、大国ロシアとの戦争終結にむけた講和会議に受諾する。しかし、元老・伊藤博文は、国民の恨みを買うとして全権になることを拒否。ロシアとの交渉は小村の手腕に委ねられたのだった。

名言2・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版46ページ

小村寿太郎「『君は実に気の毒な境遇に立った。今まで得た名誉も地位も、すべて失うかも知れない(井上馨)』
『君が帰国した時には、他人はどうあろうと私だけは必ず出迎えに行く(伊藤博文)』」

ポーツマス講和会議とは一応、日本の勝ち、ロシアの負けという示しを付けるためだけの会議であって、日本がロシアから償金や領地割譲を得られるわけがなかった。だけど、学者までもがロシアからそれらをぶん取ろうと新聞に意見を掲載する始末。愚劣な事を言う・・・・・・。

名言3・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版51ページ

小村寿太郎「随員の山座円次郎は小村に、『あの万歳が、帰国の時に馬鹿野郎の罵声ぐらいですめばいい方でしょう。おそらく短銃で射たれるか、爆裂弾を投げつけられるにちがいありません』」

もう暗すぎるよ~と嘆きたくなる、ポーツマス講和会議へ向かう日本代表一行のひとり、山座円次郎の名言。山座は優秀な外交官であったものの伊藤博文と対立し、ハルピンでの伊藤の暗殺に関わっていると言われている。後年、自らも暗殺される・・・・・・・小村の目が黒いうちはよかったのに。

名言4・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版60ページ

小村寿太郎「小柄な彼の存在は、欧米人の眼をひいた。あらゆる所に顔を出し、せわしくなく動きまわる小村に、かれらは鼠公使(rat minister)という渾名をつけた」

鼠といえば先輩と思いがちだけど、どっこい公使なのである。一等書記官であった小村であるが、左遷によって北京公使館の代理公使に赴任する。しかしそれまで才能を持て余していた小村が、外交畑で一気に開花。外相の陸奥宗光らから一目置かれる存在にまで成長したのだった。

名言5・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版97~98ページ

小村寿太郎「恰幅のよい清国の宰相李鴻章が、各国使臣夫妻らの中で小村が最も背が低く清国の十五、六歳ぐらいだ、と笑いながら言うと、小村は、日本では大男総身に智恵がまわりかね、うどの大木、半鐘泥棒と言って大男は国家の大事を託しかねると言われていると答え、李の顔色を変えさせたこともある」

小村寿太郎の毒舌的名言。確かに大勢の前で一国の代表を侮辱した李鴻章がいけないが、小村は三倍返しの躊躇なく大男総身に智恵がまわりかね云々と言ってしまうのだから凄い。小村は気性の激しい性格で、度々場を白けさせていたのだとか。影でノー・モア・小村とか言われてそう。

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名言6・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版181ページ

小村寿太郎、セルゲイ・ウィッテ、セオドア・ルーズベルトなど「『会議の席では、あくまでも講和問題に話をしぼるようにしたいと思う。講和問題に無関係のことや枝葉末節にわたるようなことは、つとめてこれを避けたい。露国委員におかれてもそのように努力して欲しい』」

いよいよロシアとのポーツマス講和会議本番。小村は、ロシア側から日露戦争の原因や開戦当時のことなどを並べ立てられ、会議の進行が滞るのを嫌い、上記のように機先を制したのだった。ロシア代表のウィッテも同意し、会議は“講和条件”のみに絞って進められることになった。

名言7・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版195ページ

小村寿太郎、セルゲイ・ウィッテ、セオドア・ルーズベルトなど「ウイッテは、それを予期していたように淀みない口調で弁明した。その要旨は、新聞記者たちに会議内容を秘密にしておくことはきわめて困難で、むしろ新聞記者にすべてを公表する方が誤った報道をふせぐ最良の方法ではないだろうか、という。最後にかれは、ロシア側では会議の内容をもらした者はない、とつけ加えた」

日本からロシアに示された講和条件。お互い内容は秘密にすると約束しておきながら、ウィッテはあっさり約束を反故にし、新聞記者に日本からの講和条件を流したのだった。それでいて何事もなかったのごとくしれ~っとしているのだから、ウィッテは曲者なのだ。うまいな~。

名言8・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版207~208ページ

小村寿太郎、セルゲイ・ウィッテ、セオドア・ルーズベルトなど「『われわれキリスト教信者としては避けたいことだった。しかし、異教国である日本の全権が日曜日開催を強く要求したので、それに従わなければならなかった』
(中略)日本側随員は、日曜日午後に会議開催を提案したのはウイッテ自身であり、それを日本側の要求だとするウイッテの巧妙さに唖然とした」

ウィッテのあまりの狡猾さに、ちょっとファンになってしまう名言。ウィッテはロシアを代表する大政治家であり、外交も非常に上手であって、あの手この手でアメリカ世論の同情を買い、少しでもロシアに有利に運ぼうと画策する。いやいや、日本側はさぞや口あんぐりだったんでしょうな。

名言9・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版224ページ

小村寿太郎、セルゲイ・ウィッテ、セオドア・ルーズベルトなど「『小村男爵、この地の食事はお口に合いますか』(ウィッテ)
『以前、アメリカにいたことがあるので食事には慣れています』(小村)」

ポーツマスでは魚介料理が中心であったため、ロシア人のウィッテの口には合わず、体調を崩しがちであった。だからなのか、樺太の割譲を断固譲らない姿勢を見せるも、樺太での漁業権は譲ると簡単に口にする。寿司が今ほどのステータスならば、小村はその条件に飛び付いていたかも!?

名言10・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版233ページ

小村寿太郎、セルゲイ・ウィッテ、セオドア・ルーズベルトなど「『苛酷ではない。穏やかな条件であることは、全世界の意見でもある』(小村)
『日本の条件が穏やかだという世界の世論があることを、私は知らない』(ウィッテ)
『穏当だという世界各国の意見は、多くの新聞で報道されている』(小村)
『私と貴方の読む新聞が同じではないのだろう。私の読んでいる新聞には、苛酷だと書かれている』(ウィッテ)」

日露戦争の償金における、ザ・平行線的、小村とウィッテの名言。日本としては戦争に勝ったのだから償金は欲しいところであるが、ロシアとしては勝ちを譲ってやっただけなのだから償金なんて払うわけがない、ということ。しかし、新聞がどうしただとか、ちょっと笑ってしまう。

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名言11・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版250ページ

ポーツマス講和会議日本側全権「一握りの地も一ルーブルの金も日本に与えてはならぬ。誰がどのような勧告をしても、私を一歩も譲歩させることは出来ない」

ロシア皇帝ニコライ二世の、日本側の要求に対する最終回答。小村とウィッテは、樺太を二分割にし北はロシア、南は日本の統治とし、日本軍が北樺太から引き上げる見返りに償金を払うことで意見の一致を見たが、無常にもロシア皇帝は上記の回答で、会議決裂を決定したのだった。

名言12・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版278ページ

ポーツマス講和会議日本側全権「『ロシア煙草を持ってきてくれ』
(中略)その言葉は発信を意味する隠語で、随員は自動車でホテルにもどり本国に打電する。それは、満州にいるロシア軍の即時進撃命令になるはずであった」

最後の最後でロシア皇帝ニコライ二世は南樺太割譲を許可。しかし、ウィッテはいまさらそんなこと言うなよ状態であり、ポケットに会議決裂を伝える至急電報を忍ばせていたのだった。ロシア人がもし「ロシア煙草を持ってきてくれ」と言っているのを聞いたら・・・・・・こわい。

名言13・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版282ページ

ポーツマス講和会議日本側全権「『ポーツマス講和会議日誌』には『日本側は、何も特別なことが起こったわけではないように、泰然自若としていた』と、その折の小村らの印象が記され」

ロシア側の随員・コロストヴィッツが後年に残した著書の記述。ロシア側が南樺太の割譲を認め、日本側が償金の要求を撤回したことで奇跡的に講和が成立。「ウィッテは偉大だ!」と湧くロシア側に対し、日本の小村や高平小五郎は安堵からかタバコをくゆらせるだけで、感情を表に出すことはなかった。

名言14・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版290ページ

ポーツマス講和会議日本側全権「ウイッテや随員たちは、一瞬、呆気にとられて小村の顔を見つめた。ウイッテの問いに即座に答えた小村の言葉は、流暢なフランス語であった。ウイッテたちは、小村がフランス語に通じながら会議中にそれをかくしていたことに初めて気づき、驚いたようにしばらくの間口をつぐんでいた」

会議は、ウィッテのフランス語を通訳が英語に直し、小村たちが英語で受け答えをするという形で進められていた。しかし、小村はフランス語に堪能であり、少しでも会議を有利に進めるために小村はあえて英語でのやりとりに終始した。ウィッテ同様、実は小村も相当な曲者だったのだ。

名言15・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版312ページ

ポーツマス講和会議日本側全権「九月六日、政府は東京市と隣接地に戒厳令の一部を施行」
  

小村が粘り強く折衝に折衝を重ね、ご破産にすること無くまとめた講和条約だったが、案の定、何も知らない無知な民衆は条約破棄を叫び、大暴動に発展。政府は暴動を沈めるために初の戒厳令を宣告したのだった。日本人は冷静だと世界からいわれるけど、決してそんなことはないのである。

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名言16・・・ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎 文庫版358ページ

小村寿太郎「午後二時半から葬儀が葬式でおこなわれた。会葬者は、勅使をはじめ約一千名であったが、市内に弔旗をかかげる家はなかった」

ポーツマス条約後も、外交官として辣腕を振るった小村であったが、持病である肺病が体を蝕み、外相辞任からわずか二ヶ月足らずで廃人同様となり、あっという間に人生に幕を閉じた。偉大な功績を残した小村であったが、馬鹿な民衆からの恨みは深く、小村の死を悼む者はほとんどいなかった。あまりにもさみしい最後であったのだ。これにて、『ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎』は完。素晴らしい内容なので、ご一読することをおすすめする。

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